宇宙開発の歴史

敗戦から宇宙へ。日本の宇宙開発史、奇跡の物語

日本の宇宙開発と聞いて、あなたは何を思い浮かべますか?

小惑星からサンプルを持ち帰った「はやぶさ」の奇跡の帰還でしょうか。それとも、次代を担う新型H3ロケットの雄姿でしょうか。

華々しい成功の裏には、世界でも類を見ない、焼け跡からの挑戦と、数え切れないほどの失敗から立ち上がってきた先人たちの物語がありました。

この記事を読めば、単なる歴史の知識だけでなく、日本の宇宙開発を貫く「不屈の精神」と「独創的な技術力」の源泉、そして私たちが向かう未来までが、一本の線として繋がります。


第1章:焼け跡からの挑戦 – ペンシルロケットと糸川英夫の夢

日本の宇宙開発の歴史は、第二次世界大戦の敗戦という、まさにゼロからのスタートでした。航空機の研究開発を禁じられ、多くの技術者が活躍の場を失う中、一人の男が立ち上がります。

その名は糸川英夫。のちに「日本の宇宙開発の父」と呼ばれる人物です。

「飛行機がダメなら、もっと高く、大気圏の外まで飛ぶものを研究すればいい」

この逆転の発想から、日本のロケット開発は始まりました。予算も設備もない中、彼が最初に作り上げたのは、全長わずか23cm、まるで鉛筆のようなロケットでした。

1955年、東京・国分寺で行われた水平発射実験。小さな「ペンシルロケット」がヒュッと音を立てて飛んだこの瞬間が、日本の宇宙開発の産声となったのです。

重要なのは、この出発点が「純粋な科学探査」を目的としていたこと。軍事競争から始まった米ソとは一線を画すこの「平和利用」の精神は、その後の日本の宇宙開発のあり方を決定づける、重要なバックボーンとなりました。


この小さな一歩が、やがて日本を世界で4番目の衛星保有国へと導く大ジャンプに繋がります。しかし、その道のりは決して平坦ではありませんでした。

第2章:ラムダの涙と「おおすみ」の歓喜 – 純国産技術への挑戦

ペンシルロケットから始まった日本の挑戦は、徐々に大型化し、ついに大気圏を越える性能を持つ「ラムダ(L)ロケット」へと進化します。目標は、日本初の人工衛星の打ち上げです。

しかし、宇宙への壁は厚く、ラムダロケットは4機連続で打ち上げに失敗。特に最終段の点火ミスが続き、関係者は「鬼門」と唇を噛みました。

そして迎えた1970年2月11日、5度目の挑戦。

「もう後がない」というプレッシャーの中、L-4Sロケット5号機は轟音とともに打ち上げられます。このロケットには、驚くべきことに誘導装置がありませんでした。ロケットの姿勢をあえて精密に制御せず、地球の重力に任せて自然に飛行させるという、まさに「神頼み」にも近い独創的な方法でした。

固唾をのんで見守る中、ついにロケットは衛星の軌道投入に成功。日本初の人工衛星は、打ち上げ地の鹿児島・大隅半島にちなんで「おおすみ」と名付けられました。ソ連、アメリカ、フランスに次ぐ、世界で4番目の快挙でした。

「おおすみ」の成功は、日本の宇宙開発に大きな自信をもたらしました。しかし、より実用的な衛星を打ち上げるためには、さらに強力な液体燃料ロケットが不可欠です。

当初は米国の技術に頼っていましたが、「自らの手で、自由に宇宙へ行くための足が欲しい」という想いから、純国産の「H-IIロケット」開発プロジェクトが始動します。

その心臓部である「LE-7エンジン」の開発は、困難を極めました。燃焼実験中に幾度となく爆発事故が発生し、技術者たちは常に死と隣り合わせでした。それでも彼らは諦めず、10年以上の歳月をかけて、世界最高水準のエンジンを完成させたのです。

1994年、H-IIロケット試験機1号機の打ち上げ成功。この瞬間、日本は真の意味で宇宙先進国の仲間入りを果たしました。


純国産ロケットという「宇宙への足」を手に入れた日本。その目は、もはや地球の周りではなく、遥か60億km彼方の小惑星という、前人未到の深宇宙へと向けられていました。

第3章:「はやぶさ」の奇跡 – 絶望を乗り越えた7年間の旅

H-IIロケットで手に入れた翼で、日本は誰も成し遂げたことのない壮大なミッションに挑みます。それが、小惑星探査機「はやぶさ」による、世界初の小惑星サンプルリターンです。

小惑星は、太陽系が生まれた約46億年前の情報を留める「タイムカプセル」。そこから物質(サンプル)を持ち帰ることは、生命の起源を解き明かすことに繋がります。

しかし、この往復60億km、7年間にわたる旅路は、事前に想定されたリスクさえも超える、過酷な試練の連続でした。

満身創痍の帰還劇:「はやぶさ」を襲った主なトラブル

「はやぶさ」の旅は、絶望的なトラブルを、人間の知恵と執念で乗り越えていく歴史でした。

トラブル内容状況奇跡の解決策
① リアクションホイール故障(長期間の宇宙飛行による金属疲労などが原因で) 姿勢を制御するコマ(車輪)のうち、3台中2台が故障。残った1つの車輪と、太陽光の圧力、化学エンジンを巧みに使い、奇跡的な姿勢制御を編み出す。
② 着陸失敗と通信途絶イトカワへの着陸時、想定外の事態で不時着。その後、地球との通信が7週間も途絶える「ロスト」状態に。日本中の大型アンテナを使い、毎日毎日「はやぶさ、応答せよ」と呼びかけ続ける。か細い電波をキャッチし、奇跡の通信回復を果たす。
③ 化学エンジンの燃料漏れ(着陸時の衝撃や配管の劣化により) 姿勢制御に使う化学エンジンの燃料がほとんど漏れてしまう。漏れて噴き出す燃料の力を逆利用して姿勢を制御。さらに、イオンエンジンの噴射を応用して姿勢を立て直す。
④ イオンエンジン停止地球への帰路、(経年劣化により)4基あったイオンエンジンのうち3基が停止。地球へ帰るための推進力をほぼ失う。設計図にない「ニコイチ運転」を考案。故障した2基のエンジンから、まだ生きている部分を繋ぎ合わせ、1基のエンジンとして復活させる。

特に、帰路での「ニコイチ運転」は、日本の技術者たちの真骨頂でした。絶望的な状況で生まれたこの前代未聞のアイデアを、彼らは地上での緻密な検証を経て成功させ、「はやぶさ」を再び地球への軌道に乗せたのです。

さて、ここで少し考えてみてください。もしあなたが「はやぶさ」のプロジェクトチームの一員だったら、絶望的な状況でどんなアイデアを出したでしょうか?

最後の輝きと、未来へのレガシー

2010年6月13日、満身創痍で地球に帰還した「はやぶさ」は、サンプルが入ったカプセルを分離。自身は流れ星となって、その7年間の生涯を終えました。

当時のプロジェクトマネージャー、川口淳一郎氏が語った「はやぶさは生き物でした」という言葉は、多くの日本人の胸を打ちました。(出典: JAXA)

この奇跡の旅で得られた教訓は、後継機「はやぶさ2」の完璧なミッションへと繋がりました。それだけではありません。確立されたイオンエンジンの長寿命化技術は現代の人工衛星の性能向上に貢献し、複雑な状況を自律判断する航法技術は、将来の月面探査や自動運転技術か?

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