コラム・読み物

観測が創る現実?二重スリットの謎

はじめに:もしボールが壁をすり抜けたら?常識が崩壊する世界へようこそ

私たちの日常は、「ボールを投げれば壁に当たる」「自分は今、ここにしか存在しない」といった、当たり前のルール(物理法則)の上に成り立っています。

しかし、もしその常識が全く通用しない世界があるとしたら…?

この記事で探求するのは、量子力学の世界で最も奇妙で、最も美しいとされる「二重スリット実験」です。

物理学者のリチャード・ファインマンが「量子力学の核心はこの実験に全て詰まっている」と語ったように、この実験が示す結果は、あなたの「現実」に対する見方を根底から覆してしまうかもしれません。

【この記事を読めば分かること】

  • 世界で最も奇妙で美しい「二重スリット実験」の全貌
  • なぜ「見る」だけで未来が変わってしまうのか?
  • あなたの「現実」が、実は不確定かもしれない理由

さあ、常識が崩壊するミクロの世界へ、思考の旅に出かけましょう。まずは、その奇妙さを理解するために、私たちの「当たり前」を確認することから始めます。


ステップ1:思考実験の準備運動 -「粒子」と「波」の当たり前を確認しよう

奇妙な世界に飛び込む前に、まずは私たちの常識が通用する世界で肩慣らしです。
2つのすき間(スリット)が空いた壁に向かって、性質の違う2つのものを発射したらどうなるでしょうか?

1. 銃から弾丸(粒子)を発射した場合

野球のボールや砂粒のような「粒子」を想像してください。これらは決まった形を持ち、1個、2個と数えることができます。

この粒子をスリットに向かって発射すると、当然、通り抜けた弾丸は壁の向こう側にあるスクリーンに到達します。結果として、スクリーンには2本のスジ状の跡がくっきりと残るはずです。これが粒子の振る舞いです。

2. 水面で波を起こした場合

次に、お風呂や湖に広がる水面の「波」を想像してください。波には決まった形がなく、山と谷が連続的に広がっていきます。

この波が2つのスリットに到達すると、それぞれのスリットが新しい波の発生源となり、2つの波が広がっていきます。そして、波同士がぶつかると、山と山が重なってさらに大きな山になったり(強め合い)、山と谷が重なって平らになったり(打ち消し合い)します。

この結果、スクリーンには強弱のついた美しい縞模様、すなわち「干渉縞(かんしょうじま)」が現れます。これが波だけが見せる特有の振る舞いです。

では、準備は整いました。いよいよ主役である「電子」を、この装置で撃ち出してみましょう。果たして、スクリーンには何が映るのでしょうか?


ステップ2:電子銃、発射! – 1つの電子が起こした「ありえない」現象

準備運動はここまでです。いよいよ本題に入りましょう。

主役は、原子を構成する「電子」です。電子は質量を持つ、まぎれもない「粒子」の一種です。
では、この電子を1個ずつ、二重スリットに向かって発射したら、スクリーンには何が映るでしょうか?

常識で考えれば、答えは一つ。粒子なのですから、「2本のスジ」になるはずです。

しかし、実際に実験が行われたとき、科学者たちは信じられない光景を目の当たりにします。電子を1個、また1個と、何時間もかけて発射し続けた結果、スクリーンに現れたのは…

Prompt by ramuza, Image by Gemin
Prompt by ramuza, Image by Gemin

なんと、波にしか現れないはずの「干渉縞」だったのです。

これは一体どういうことでしょうか?干渉縞ができるには、2つの波が同時に存在し、互いに影響し合う必要があります。しかし、発射された電子は常に1個だけです。

この実験結果が導き出す結論は、常識的にはありえない、ただ一つの可能性でした。

「1個の電子は、粒子でありながら波のように振る舞い、2つのスリットを”同時に”通過して、”自分自身”と干渉した」

この「ありえない」結果を前に、科学者たちは考えました。「ならば、電子がズルをしていないか、直接見てやろう」と。しかし、その行為が、さらなる深淵への扉を開くことになるとは、まだ誰も知らなかったのです。


ステップ3:「見る」だけで結果が変わる? – 科学者を悩ませた『観測問題』

さて、ここまでの話で「1個の電子が、波のように2つのスリットを同時に通り抜けて自分自身と干渉する」という、にわかには信じがたい結論に至りました。

当時の科学者たちも、あなたと全く同じように「そんなバカな!」と思ったはずです。「きっと何か見えないトリックがあるに違いない。ならば、電子がどちらのスリットを通るのか、この目で直接確かめてやろう」と考えたのです。

ズルを見破る監視カメラ、その衝撃の結果

科学者たちは、スリットのすぐ後ろに電子を検出できる「監視カメラ」のような装置を設置しました。これで、電子が右のスリットを通ったか、左のスリットを通ったかがハッキリと分かります。

これで謎は解けるはずでした。しかし、科学者たちが目にしたのは、謎が解けるどころか、さらに深まる衝撃的な光景だったのです。

結論から言いましょう。電子がどちらの道を通ったかを見たとたん、あれほどハッキリと現れていた干渉縞が、きれいさっぱり消え失せてしまったのです。

スクリーンに現れたのは、まるで普通のボールを投げたときのような、単なる2本のスジでした。

Prompt by ramuza, Image by Gemin

まるで、電子が「あ、見られてる!じゃあ、波のようにフワフワするのはやめて、粒子らしく真面目にどちらか一方だけを通ろう」と、態度を変えたかのようです。

この、「観測する」という行為そのものが、結果を根本的に変えてしまうという奇妙な現象こそ、アインシュタインをはじめとする数々の天才たちを生涯にわたって悩ませた「観測問題」の核心です。

「観測」とは何か?神はサイコロを振るのか?

なぜ「見る」だけで、波(干渉縞)が粒子(2本のスジ)に変わってしまうのでしょうか?

これは、あなたの「意識」が影響を与えているわけではありません。ミクロの世界で何かを「見る」ためには、光の粒(光子)などをその物体にぶつける必要があります。つまり、「観測」とは、対象に対して物理的なアクションを起こすことなのです。

この監視カメラが電子に「どっちを通った?」と尋ねる(光子などをぶつける)アクションが、電子が持っていた「波」としての繊細な性質(右のスリットと左のスリットを同時に通過するという、可能性が重なり合った状態。専門的には『重ね合わせの状態』といいます)を壊してしまい、無理やり「右か左か」のどちらかを選ばせてしまった、と現在では考えられています。この現象を「デコヒーレンス」と呼びます。

このあまりに奇妙な結果をめぐり、20世紀を代表する二人の物理学者が激しい論争を繰り広げました。

  • アインシュタイン: 彼は「神はサイコロを振らない」という有名な言葉を残し、確率でしか語れない量子力学の不完全性を鋭く批判しました。彼にとって、「月は、誰も見ていない時でも、ちゃんとそこにある」のが当たり前でした。観測して初めてモノの状態が決まるなどという考えは、物理的な実在が人間の行為に左右されることを意味し、到底受け入れられるものではなかったのです。
  • ニールス・ボーア: 一方ボーアは、「観測される前の現実は存在しない」という、さらに過撃な考えを提唱します。観測という行為があって初めて、現実はその姿を確定させるのであり、観測前の電子の場所を問うこと自体が無意味なのだ、と反論しました。

この壮大な論争は、単なる物理学の解釈にとどまらず、「現実とは何か?」という哲学的な問いを科学の世界に投げかけたのです。

こうして科学者たちは、ズルを見破るどころか、「観測」という行為が持つ、世界の根幹を揺る-がすほどの不思議な力に直面することになりました。では、この奇妙な現実を、私たちは一体どう解釈すればよいのでしょうか?最後のセクションで、その深淵へと迫っていきましょう。


まとめ:あなたはどちらの世界を選ぶ?二重スリットが問いかける「現実」の意味

さて、私たちは「観測」という行為が、ミクロの世界のあり方を根本から変えてしまうという、驚くべき事実にたどり着きました。
この奇妙な現実を、科学者たちはどのように解釈しようとしたのでしょうか?最後に、代表的な2つの世界観をご紹介します。

1. コペンハーゲン解釈:「観測で、世界は一つに決まる」

ボーアらが中心となって考えた、最も標準的な解釈です。(※参考:権威ある情報源への外部リンク
これは、「電子は観測されるまで、右と左を通る可能性が重なり合った『確率の波』として存在している。そして、人間が観測した瞬間に波は収縮し、たった一つの現実(右か左か)に確定する」という考え方です。
非常にシンプルですが、「なぜ観測すると収縮するのか?」という根本的な問いには答えてくれません。

2. 多世界解釈:「観測で、世界は分裂する」

「観測で波が収縮するなんておかしい」と考えた科学者たちが提唱した、SFのような解釈です。
これは、「観測によって波は収縮しない。その代わり、世界そのものが可能性の数だけ分裂する」という考え方です。
つまり、あなたが電子を観測した瞬間、「電子が右のスリットを通った世界にいるあなた」と、「電子が左のスリットを通った世界にいるあなた」に世界が枝分かれし、両方とも存在し続けるのです。これが、いわゆるパラレルワールドの理論的な根拠の一つです。

どちらの解釈が正しいのか、未だに結論は出ていません。
しかし、この二重スリット実験が私たちに教えてくれるのは、あなたの目の前にあるこの「現実」も、あなたが観測するまでは、無数の可能性が重なり合った不確定な状態でしかないのかもしれない、ということです。

ミクロな電子の謎は、やがて宇宙の始まりの謎、そして「私たちが見ているこの世界とは何か?」という、最も根源的な問いへと繋がっていくのです。


【思考実験のお土産】

「誰も見ていない森で木が倒れたら、音はするか?」という哲学の問いがあります。

量子力学は、これに「観測者がいて初めて”倒れた”という現実が生まれる」という、新たな視点を与えてくれます。

あなたは、自分の見ていないところで、世界は「確かに存在している」と思いますか?ぜひ、あなたの考えを聞かせてください。


【この謎にさらにハマりたいあなたへ】

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