序章:もしも星が、別の星を「食べて」しまったとしたら?
夜空に輝く無数の星々。その一つ一つが、太陽のように自ら光り輝く巨大なガスの塊です。では、もし、その星の一つが、別の星を丸ごと「食べて」しまったとしたら…?
まるでSF映画のような話に聞こえるかもしれませんが、現代の天体物理学の世界では、そんな奇想天外な天体が理論上存在しうると、半世紀近くも真剣に議論され続けています。
その天体の構造は、まさに異常。巨大に膨れ上がった恒星の中心で、本来あるはずの核(コア)の代わりに、とんでもない天体が鎮座しているのです。
それは、太陽よりも重いにもかかわらず、直径はわずか20kmほど(東京の山手線の内側にすっぽり収まるサイズです)。その密度は角砂糖たった一個分で数億トンにも達するという、常識外れの天体「中性子星」。
この、まさに二つの星が一心同体となったような奇妙な天体の名は、「ソーン・ジトコフ天体(Thorne-Żytkow object、略してTŻO)」。
この記事では、まだ誰もその姿を確実に捉えたことのない、この幻の天体の謎に迫ります。
- 一体、どのようにしてそんな奇妙な天体は生まれるのか?
- なぜ科学者たちは、この天体の発見に情熱を燃やすのか?
- もし発見されれば、私たちの宇宙観はどう変わるのか?
これから、あなたの常識を覆すかもしれない、恒星進化の最もディープな世界へご案内します。宇宙の壮大なドラマの新たな一幕を、ぜひお楽しみください。
ソーン・ジトコフ天体とは? – 奇妙なハイブリッド天体の誕生譜
見た目は普通の「赤色超巨星」なのに、その心臓部には全くの別物である「中性子星」が隠れている。それがソーン・ジトコフ天体の正体です。では、こんな奇妙な天体は、一体どのようにして生まれるのでしょうか。最も有力とされているのが「共通外層シナリオ」です。
誕生のシナリオ:連星が起こす宇宙の奇跡
TŻOの物語は、太陽よりずっと重い二つの星がペアを組んで回る「大質量連星系」から始まります。
- Step 1:片方の星の死
ペアのうち、より重い星が先に寿命を迎え、超新星爆発を起こします。その中心には、超高密度な燃えカスである「中性子星」が残されます。 - Step 2:もう一方の星の膨張
残された伴星もやがて寿命が近づき、外層が大きく膨れ上がって「赤色超巨星」へと進化します。この膨張したガスが、隣で回り続ける中性子星を丸ごと飲み込んでしまいます。この状態を「共通外層(コモン・エンベロープ)」と呼びます。 - Step 3:中性子星の落下
赤色超巨星の濃いガスの中に飛び込んだ中性子星は、ガスとの摩擦によってブレーキがかかり、公転のエネルギーを失っていきます。そして、数百年から数千年という長い時間をかけて、らせん状にゆっくりと星の中心へと落下していくのです。 - Step 4:合体、そしてTŻOの完成
ついに中性子星は赤色超巨星の中心核に到達し、合体します。こうして、赤色超巨星の見た目を持ちながら、その中心では中性子星がエネルギーを供給し続けるという、前代未聞の天体「ソーン・ジトコフ天体」が誕生するのです。

この驚くべき天体モデルは、一体どのような発想から生まれたのでしょうか。その歴史は、二人の物理学者の純粋な探求心から始まります。
提唱者たちの物語 – アインシュタインの系譜と『インターステラー』の科学監修者
この奇想天外な天体のアイデアは、1977年に二人の物理学者によって発表されました。
- キップ・ソーン(Kip Thorne)
- アンナ・ジトコフ(Anna Żytkow)
特にキップ・ソーンは、現代物理学の巨人として知られています。彼はアインシュタインの一般相対性理論を専門とし、ブラックホールや重力波の研究で世界をリードしてきました。その功績により、2017年にはノーベル物理学賞を受賞しています。
豆知識
映画『インターステラー』をご覧になったことはありますか? あの作品で描かれたワームホールやブラックホールのリアルな描写は、科学監修を務めたキップ・ソーンの計算に基づいています。
ソーンとジトコフは、恒星の進化モデルを計算する中で、「もし中性子星が恒星の内部に存在したら、それは安定して存在しうるのか?」という純粋な問いを探求しました。その結果、彼らはTŻOという全く新しい恒星の姿を理論的に予言したのです。それは、観測技術がまだ追いつかない時代に描かれた、未来への設計図でした。
宇宙の錬金術師 – TŻOが解き明かす「元素の起源」の謎
ソーン・ジトコフ天体が科学者を惹きつけてやまない最大の理由は、その内部がユニークな元素を作り出す「宇宙の工場」である可能性を秘めているからです。
TŻOの心臓部、つまり中性子星のすぐ近くは、超高温・超高圧の世界です。ここで生み出された物質は、星全体の巨大な対流によってかき混ぜられ、表面まで運ばれてきます。この過程で、通常の星では起こりえない特殊な核反応が起こると考えられています。

TŻOを見つけ出す「指紋」
もしTŻOを発見するなら、その星の光を分析し、以下の元素が異常に多く含まれていないかを探す必要があります。これらはTŻOの存在を示す「化学的な指紋」と言えるでしょう。
- リチウム(Li)
- ルビジウム(Rb)
- モリブデン(Mo)
これらの元素は、TŻO内部の特殊な中性子捕獲プロセス(irp-process)によって生成されると予測されています。
私たちが知る宇宙の金やプラチナといった重い元素が、どこでどれだけ作られたのか、その全貌はまだ解明されていません。もしTŻOが実在すれば、それは元素の起源を解き明かす、新たなパズルのピースとなるのです。
では、理論的に予測されたこの「化学的な指紋」を、私たちは実際に捉えることができるのでしょうか。理論の発表から約40年後、ついにその瞬間が訪れたかのように思われました。
幻の天体を探せ! – 観測の最前線と未来への挑戦
理論の発表から約40年後の2014年、天文学界に衝撃が走ります。
「ソーン・ジトコフ天体の最有力候補を発見した!」
エミリー・レヴェスク率いる研究チームが、小マゼラン雲にある「HV 2112」という星を観測したところ、その光のスペクトルにTŻOの「指紋」であるリチウム、ルビジウム、モリブデンの異常な痕跡を発見したのです。
しかし、科学の世界はそう単純ではありません。後の研究で、「HV 2112」のデータは、TŻOではなく進化の最終段階にある特殊な星(AGB星)としても説明可能である、という反論が提出されました。現在、この「HV 2112」がTŻOである可能性は低いと考えられていますが、この一連の発見と論争は、科学が常に検証と議論のプロセスを経て前進していくことを私たちに教えてくれます。
未来の探査計画
では、本物のTŻOを発見する術はもうないのでしょうか? いいえ、希望はあります。
- ジェイムズ・ウェッブ宇宙望遠鏡(JWST)
圧倒的な赤外線観測能力を持つJWSTは、遠方の銀河に隠れた星々の化学組成を詳細に分析できます。TŻOの放つ微かな「指紋」を捉えることが期待されています。(出典: NASA) - ニュートリノ天文学
最新の理論では、TŻOがその内部で強力なニュートリノを放出する可能性が指摘されています。スーパーカミオカンデのような巨大な検出器でこの信号を捉えられれば、光とは全く違う方法でその存在を証明できるかもしれません。
まとめ:宇宙は、我々の想像力を超え続ける
ソーン・ジトコフ天体。それは、星が星を飲み込むという、壮大な宇宙のドラマが生み出すかもしれない幻の天体です。
この記事で見てきたように、TŻOの探求は、単なる珍しい星探しではありません。
- 恒星の進化に新たなページを書き加える可能性
- 元素の起源という根源的な謎を解く鍵
- 極限状態の物理を解き明かす天然の実験室
これら全てに繋がる、科学のフロンティアなのです。
確実な発見はまだありません。しかし、その存在を信じ、理論と観測の両面から追い続ける科学者たちの挑戦は、私たちに教えてくれます。宇宙は、常に私たちの想像力を遥かに超えてくる、と。
次にあなたが夜空を見上げる時、その星々のいくつかには、別の星が丸ごと隠れているかもしれない、そんな途方もない可能性に思いを馳せてみてはいかがでしょうか。
あなたは、もしソーン・ジトコフ天体が発見されたら、他にどんな宇宙の謎が解明されると思いますか?ぜひコメント欄であなたの考えを聞かせてください!