導入:SFが現実に?宇宙の近道「ワームホール」への招待状
映画『インターステラー』で宇宙船が吸い込まれていった、光り輝く球体。あれが「ワームホール」です。
遠い宇宙を一瞬で移動する”宇宙の近道”として描かれるワームホールは、単なるSFの空想なのでしょうか?
いいえ、違います。その起源は、20世紀最高の物理学者アインシュタインの理論にまで遡ります。
この記事では、あなたをワームホールの世界の入り口から、現代物理学の最前線までご案内します。読み終える頃には、ワームホールが科学者たちが大真面目に探求する、物理学の壮大なロマンであることが分かるはずです。
1. ワームホールの正体とは?アインシュタインが予言した「時空のトンネル」
ワームホールとは、一言で言えば「時空の異なる2つの点を結ぶ、トンネルのような構造」です。
これを理解するために、よく使われる有名な例えがあります。
リンゴの表面にいる虫(ワーム)が、表面のちょうど反対側に行きたいと考えます。表面を健気に這っていくよりも、リンゴの中を食い破って進んだ方が圧倒的に早いですよね。この「虫食い穴(ワームホール)」こそが、時空の近道のイメージです。

このアイデアは、アインシュタインの一般相対性理論から生まれました。重い物体の周りでは空間と時間が歪む、というこの理論の方程式を解くと、ブラックホールという奇妙な天体の存在が予言されます。そして1935年、アインシュタインと盟友ネイサン・ローゼンは、このブラックホールの解をさらに発展させ、時空の2つの領域をつなぐ「橋」のような構造が存在しうることを発見しました。これが「アインシュタイン・ローゼン橋」、すなわちワームホールの最初の理論モデルです。
理論上は存在するワームホールですが、なぜ私たちはまだそれを使っていないのでしょうか?次のセクションでは、ワームホール旅行を阻む巨大な物理的障壁に迫ります。
2. なぜ通れない?ワームホール旅行を阻む「3つの巨大な壁」
SFのように簡単にワームホールを通り抜けられないのには、明確な理由があります。物理学者たちが頭を悩ませる、巨大な「3つの壁」を見ていきましょう。
- 壁①:極限の不安定さ
理論上、ワームホールのトンネル部分は生成された瞬間に、自身の強すぎる重力で潰れてしまいます。その速度は光さえも通り抜けられないほど。人間や宇宙船が近づけば、その瞬間に崩壊し、特異点という無限の密度を持つ点になってしまうのです。 - 壁②:未知の物質「エキゾチック・マター」の必要性
この崩壊を防ぎ、トンネルを開いたままにするには、内側から時空を押し広げる「斥力(反重力)」を持つ、特殊なエネルギーが必要です。この未知のエネルギーを持つ仮説上の物質を「エキゾチック・マター」と呼びます。これは、私たちが知るあらゆる物質とは正反対の性質を持つもので、未だ発見されていません。

- 壁③:絶望的なサイズ
たとえワームホールが宇宙のどこかで自然に発生するとしても、その大きさは原子よりもはるかに小さい「プランクスケール(10-35m)」だと考えられています。これでは人間どころか、素粒子一つ通るのもやっとです。
これらの壁はあまりに高く、一時期は多くの科学者が「通れるワームホールは不可能だ」と考えていました。
しかし、物理学者たちはこの巨大な壁を前にただ立ち尽くしているわけではありません。次のセクションでは、彼らが挑む驚くべき「抜け道」の数々を見ていきましょう。
3. 最新科学が描く「通れるワームホール」の可能性と作り方
結論:理論上は「抜け道」が見つかりつつある
先に結論を言うと、「エキゾチック・マターを全く使わない、あるいはごく少量で済むかもしれない」という画期的な理論モデルが次々と登場しています。まだ数学的なモデルの段階ですが、ワームホール実現へのハードルが、理論上は少しずつ下がり始めているのです。
壁への挑戦①:未知の物質なしでワームホールは作れないか?
最近の研究では、一般相対性理論を少し拡張した「修正重力理論」の枠組みを使うことで、最大の壁であるエキゾチック・マターの問題を回避できる可能性が示されています。
【キーポイント】
重力の法則そのものを書き換えることで、ワームホールを支える「特別な物質」を不要にする。
これは、「特別な材料(エキゾチック・マター)を探す」のではなく、「設計図(物理法則)そのものを工夫して問題を解決する」という、まさにコロンブスの卵的発想と言えるでしょう。
壁への挑戦②:「負のエネルギー」を現実世界で作り出す
もしエキゾチック・マターがどうしても必要なら、それに似た状況を現実で作り出せないか、という研究も進んでいます。その鍵が「カシミール効果」です。
【キーポイント】
「何もない真空」からエネルギーを借りて、ワームホールをこじ開けるというアイデア。
これは真空からエネルギーを生み出す不思議な現象で、理論上はワームホールを支える「負のエネルギー」を作り出せる可能性があります。ただし、現在の技術では効果が非常に微弱で、実用化には程遠いのが現状です。
壁への挑戦③:量子のもつれが時空のトンネルだった?「ER=EPR予想」
最後に、現代物理学で最もエキサイティングな仮説、「ER=EPR予想」を紹介します。これは、アインシュタインが「不気味な遠隔作用」と呼んだ量子もつれとワームホールが、実は同じ現象の裏表なのではないか、という驚くべき理論です。
【キーポイント】
量子レベルで「もつれ合った」粒子同士は、ミクロなワームホールで繋がっているかもしれない。
この予想が正しければ、ワームホールは特別な天体ではなく、宇宙の至る所に量子サイズで存在していることになります。これは、時空と量子の世界を結びつける「万物の理論」への大きな一歩として、世界中の物理学者が研究を進めています。
【早わかり】3つのアプローチ比較表
アプローチ | 核心アイデア | 現在の課題 |
---|---|---|
① 修正重力理論 | 重力の法則自体を書き換え、「反重力」効果を生み出す。 | 理論がまだ未完成で、その正しさが証明されていない。 |
② カシミール効果 | 真空のエネルギーを利用して、局所的に「負のエネルギー」状態を作る。 | 効果が非常に微弱で、巨大なワームホールを支えるには不十分。 |
③ ER=EPR予想 | 量子もつれとワームホールを同一視し、新たな視点から可能性を探る。 | 極めて理論的・概念的であり、直接的な検証方法が確立されていない。 |
4. もしワームホールを発見したら?探し方とタイムトラベルのパラドックス
理論上の存在であるワームホールを、どうすれば見つけられるのでしょうか?また、もし見つかったら、私たちの世界はどう変わるのでしょうか?
ワームホールの探し方
ワームホールは直接見ることはできませんが、その異常な重力が周りに及ぼす影響から見つけられる可能性があります。
- 特異な重力レンズ効果
強い重力は光を曲げます。ワームホールがあれば、その向こう側にある星や銀河の光が、ブラックホールとも違う、非常に奇妙な歪み方をして見えると考えられています。

ワームホールとタイムトラベル
もし通れるワームホールが見つかれば、それは「タイムマシン」になりうる、と理論物理学者のキップ・ソーンは示しました。
ワームホールの入り口の一方を光速に近いロケットで宇宙旅行させてから戻ってくると、入り口と出口で時間の進み方がズレます(ウラシマ効果)。これにより、出口から入って入り口から出ると、過去の世界に到着できるというのです。
しかし、過去への旅は「親殺しのパラドックス」のような深刻な矛盾を生みます。
【思考実験】
もしあなたが過去に戻って、自分の祖父が祖母と出会うのを妨害したらどうなるでしょう?あなたは生まれなくなるはずなので、そもそも過去に戻るという行為自体が不可能になってしまいます。あなたなら、このパラドックスをどう解決しますか?
この矛盾を解決するため、「過去は変えられないように物理法則ができている」という説や、「過去を変えると別の歴史を持つパラレルワールドが生まれる」という説が考えられています。
結論:ワームホールは物理学のロマンであり、未来への挑戦
この記事を通じて、ワームホールの世界を旅してきました。
ワームホールは、アインシュタインの理論から生まれた、時空の構造そのものへの問いかけです。そこには、乗り越えるべき巨大な壁が存在する一方で、科学者たちの常識を覆すような挑戦が続いています。
それはまだSFの世界の話かもしれません。しかし、かつて空を飛ぶことや月に行くことが夢物語だったように、科学の進歩は常に私たちの想像を超えてきました。
ワームホールの探求は、人類がまだ見ぬ宇宙の真理へと至る、壮大な旅路そのものなのです。
もっと深く知りたい方へ
この記事でワームホールの魅力に触れたあなたへ、さらなる知的好奇心を満たすためのリソースをご紹介します。
- 書籍: 『インターステラー』の科学監修を務めたキップ・ソーン博士の著書 『The Science of Interstellar』(邦題:インターステラー〈普及版〉)。ワームホールや相対性理論について、映画を題材にさらに深く学べます。
- ドキュメンタリー: NHKスペシャル『時空を超えて』シリーズなど。宇宙論の最前線を、美しい映像と共に体験できます。